記憶のしくみ図鑑

記憶の種類:陳述記憶と非陳述記憶の脳内メカニズム

Tags: 記憶, 陳述記憶, 非陳述記憶, 脳科学, 神経科学

脳が使い分ける多様な記憶システム:陳述記憶と非陳述記憶

人間の脳は、過去の出来事や知識、そして身体的なスキルや習慣といった、性質の異なる様々な情報を「記憶」として蓄積し、利用しています。これらの多様な記憶は、単一のシステムで処理されているわけではなく、脳内の異なる神経回路や領域がそれぞれ専門的な役割を担っています。本稿では、記憶を大別する際に用いられる主要な分類である陳述記憶と非陳述記憶に焦点を当て、それぞれの特徴と、それを支える脳内のメカニズムについて科学的な視点から解説します。脳がどのように異なる種類の情報を処理・保持しているのかを理解することは、記憶の全体像を把握する上で非常に重要です。

記憶の主要な分類:陳述記憶と非陳述記憶

記憶研究において最も基本的な分類の一つに、陳述記憶(Declarative Memory)と非陳述記憶(Non-declarative Memory)という区分があります。この分類は、記憶の内容が意識的に「陳述」(言葉で説明したり、意識的に思い出すこと)できるかどうかに基づいています。

この分類の重要性は、特定の脳損傷を受けた患者の研究によって確立されました。特に有名なのは、重度のてんかん治療のために両側の海馬を含む内側側頭葉を切除した患者H.M.(ヘンリー・モレイソン)の症例です。H.M.は新しい出来事を記憶することが極めて困難になりましたが(陳述記憶の障害)、新しい運動スキルを習得したり(非陳述記憶の一種である手続き記憶)、特定の課題で学習効果を示したりすることは可能でした。このことは、陳述記憶と非陳述記憶が脳内の異なるシステムに依存していることを強く示唆しました。

陳述記憶を支える脳内メカニズム

陳述記憶は、さらに以下の二つに細分化されることが一般的です。

陳述記憶の形成と想起には、主に内側側頭葉(Medial Temporal Lobe)の領域が重要な役割を果たします。この領域には、海馬(Hippocampus)海馬傍回(Parahippocampal Gyrus)嗅内皮質(Entorhinal Cortex)周嗅皮質(Perirhinal Cortex)などが含まれます。

これらの領域が連携して、情報の入力、符号化、貯蔵、そして想起といった陳述記憶のプロセスを実現しています。

非陳述記憶を支える脳内メカニズム

非陳述記憶は多様な形態を含み、それぞれ異なる脳領域によって処理されます。主なタイプとその神経基盤は以下の通りです。

陳述記憶と非陳述記憶の相互作用

陳述記憶と非陳述記憶は、脳内で異なる経路をたどるものの、完全に独立しているわけではありません。例えば、新しいスキルを学ぶ際には(手続き記憶)、その学習プロセスに関する出来事(いつ、どこで練習したか)を陳述記憶として覚えている場合があります。また、意味記憶(知識)が手続き記憶(スキル)の学習を助けることもあります。脳はこれらの異なる記憶システムを複雑に連携させながら、環境への適応や学習を行っていると考えられています。

まとめ

人間の脳は、陳述記憶と非陳述記憶という大きく異なる種類の記憶を、それぞれ専門化された脳領域と神経回路を用いて処理しています。陳述記憶は主に内側側頭葉と大脳皮質に依存し、意識的な想起を可能にします。一方、非陳述記憶は多様なタイプがあり、大脳基底核、小脳、扁桃体、新皮質など、タイプに応じて異なる領域が関与し、無意識的なスキルや反応を支えます。

これらの記憶システムが個別に機能しつつも、複雑に相互作用することで、私たちは過去を振り返り、知識を獲得し、新しいスキルを習得し、環境に適応していくことが可能になります。これらの記憶システムに関する研究は現在も精力的に進められており、脳損傷による記憶障害の理解や治療法開発、さらには人工知能における記憶モデルの構築など、様々な分野に応用されています。脳の記憶の多様なしくみを理解することは、私たち自身の認知機能の根幹を知ることにつながるのです。